越生 渋うちわ
江戸時代よりつづく伝統的な渋うちわ
江戸時代より、うちわの生産が行われていたと言われている
埼玉県越生(おごせ)町の「越生うちわ」。
最盛期の明治時代には、年間240万本のうちわを生産しており、
東京から群馬まで出荷されていました。
全盛期50軒あった工房は、
現在では「うちわ工房しまの」さん1軒だけが、伝統的な越生うちわづくりを継承しています。
現在でも職人が一つ一つ手作業で、手間をかけてつくられています。
一生もんの渋うちわ
越生渋うちわの特徴は、「長く実用的に使えるうちわ」です。
「強いうちわ」を心がけて作られている「うちわ工房しまの」の渋うちわは、
大切に使えば一生お付き合いができるといっても過言ではありません。
越生渋うちわは、別名「一文字団扇」とも呼ばれ、
柄と肩骨が横一文字になっていることが特徴です。
団扇自体の強度が増し、丈夫な団扇になります。
団扇の紙は、小川和紙を使用し、表面には柿渋を2度塗りします。
柿渋は、水や虫などに耐久性があり、水気がある場所で使用しても大丈夫です。
表面からはその姿は見えませんが、竹の骨組みを紙紐で編み込んでいます。
高い位置で編み込むことにより、「コシ」が強く、強い風が送れる団扇になります。
そうして作られる渋うちわは、長く、強い実用的なものになり、
現在でも、焼鳥屋やうなぎ屋で使われる団扇となるのです。
竹選びから制作まで。こだわりをもって作られる1本
越生渋うちわは、竹選びからはじまります。
毎年12月に、越生町周辺の山に自生する真竹を切り出します。
太くて傷がない団扇に適した真竹を、職人自らの目で探し、のこぎりを入れていきます。
団扇づくりは、多くの工程を経て仕上がります。
その全てを一人の職人により、一つ一つ丹精をこめてつくられているのです。
長い経験を経て培った技術が、全ての工程に注がれ最高の1本が出来上がります。
団扇のある日本の風景を再び
日本の夏、今も昔も団扇は必需品です。
しかし今と江戸時代とでは使う用途・時期がさまざまありました。
暑い時にあおぐのはもちろん、火起こしや、蛍狩り、祭事の道具として。
また、お気に入りの団扇を片手に散歩に出かけたりと、ファッションの一部でもありました。
さらに、部屋に飾ってインテリアとしても楽しんだそうです。
プラスチックの団扇が多く出回っている昨今。
団扇がある日本の風景がなくなりつつあるような気がします。
同様に、団扇づくりをされている方々も少なくなっている様です。
渋うちわが、そんな日本の風景を少しでも取り戻せたら嬉しい限りです。
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